再会に心弾ませて  2021年08月01日

 昔は連絡をとる手段といえば手紙でしたが、電話が普及しメールができるようになり、今ではビデオ通話もできます。たとえ画面越しでも、普段会えない方と会えて話をすることは嬉しいものです。

 以前、お檀家さんが「この前東京にいった孫となかなか会えないので、ビデオ通話で会いました。少しの時間でしたが楽しい時間でした」とおっしゃいました。今は便利な世の中になり、なかなか会えない方とも、画面越しとはいえ会えるようになったことは凄いことだと思います。そう思っていると、「和尚さん、極楽ともビデオ通話できるようになったらいいのにね。どうにかなりませんのか?」と尋ねられました。いやはや、ごもっとも。私も願わくは、極楽の住人の方とビデオ通話できたらどれほどいいだろうと考えます。「元気に過ごしていますか?」「そちらの様子はいかがですか?」尋ねてみたいことがたくさんあります。しかしながら、極楽とつなぐビデオ通話のような道具はありません。だからこそ、私は極楽での再会を楽しみに今を過ごしています。いつか私も極楽へと生まれられて、今は会うことができない方がたとの再会を心待ちにしています。

 南無阿弥陀仏は「どうか私を極楽に導いてください」という意味です。ですが、私はこの南無阿弥陀仏のお言葉を「また極楽で会いましょうね」という再会を約束する言葉だとも受け取っています。その声を聞いた亡き方々も、再会を心待ちくださっていることでしょう。

合掌