いつも立派でなくていい  2021年10月02日

 浄土宗のみ教えは、阿弥陀様が分け隔てなく極楽にお救いくださる教えです。「お念仏を称える」という条件はありますが、お念仏を称えている人であるならば、分け隔てなくどんな方でも救ってくださるのです。

 時々「私みたいなもんが、極楽に生まれられるやなんて滅相もない」とお聞きすることがあります。おそらく卑下なさってのことだと思うのですが、「極楽にいけるほど自分は立派な人間でない」と思われているのかもしれません。「立派」を調べますと『非難するところがない、優れていて堂々としている、完全というほど見事である』とあります。はたして、それほどの人間がどれほど現代に存在するのでしょうか。当然、私は自分が立派な人間とは思えません。反省や後悔の毎日です。「あぁまたやってしまった」と。ですが、お念仏をお称えしていますと「至らない私でも阿弥陀様は救っていただけるのだ」と思えるのです。そして、また頑張ろうという気持ちになります。
阿弥陀様は私たちのことを「至らない人間」だと解ってくださっています。その「至らない人間」をこそ救いたいと思ってくださっているのです。地位や立場関係なく、立派でなくともお念仏を称える者を救ってくださるのです。

 浄土宗の開祖法然上人は「あるがまま」とおっしゃっています。自分が立派でなくとも阿弥陀様は見捨てませんよとお示しくださっています。立派になることを目指すことは大切ですが、立派でなくても大丈夫なのです。