和顔愛語  2015年02月01日

年末に家族で買い物に行った時のことです。娘と二人で家族から離れてベンチ休憩していると「のどが渇いた」と娘が言うので、「お父さんが買ってくるからここで待っててね」と伝えて、急いで飲み物を買いに行きました。戻ってくると、女性の定員さんが、娘に笑顔で話しかけてくれていました。私たちの会話を聞いて、娘を見てくれていたそうです。話しかけられていた娘の顔は、柔らかい笑顔でした。「よかったね」と言うと、「うん」と嬉しそうに答えました。

「無量寿経」(むりょうじゅきょう)という経典の中に「和顔愛語」(わげんあいご)という言葉が説かれています。
法蔵菩薩は、他人に対して偽りやへつらいの心などは、まったくなく、その表情は穏やかに微笑み、語りかける言葉は優しく響き、相手の気持ちを察して話しかけるのであった。
法蔵菩薩とは、阿弥陀さまが仏と成られる以前のご修行時代のお名前です。この法蔵菩薩のお姿を「和顔愛語」と申します。

「和顔愛語」と言葉にすると容易く聞こえますが、常に行うのは至難の業です。我々の日常は、イライラしてしたり、腹を立てたりしてしまいます。そんな時は、相手の気持ちを察して語りかけることが出来るでしょうか。法蔵菩薩は、永いご修行の末に仏と成られるその日までいつもこのお姿であったと経典に説かれています。
法蔵菩薩のように、いつも「和顔愛語」でいることはできませんが、我々が互いに「和顔愛語」を少しでも心がけて暮らしていければ、共々に少しずつ心が温かくなるのではないでしょうか。菩薩から仏と成られた阿弥陀さまの像を我々が拝まさせていただいて、お念仏する中で、この我が身が少しでも「和顔愛語」にならさせて頂ければ、何より尊いことでしょう。

合掌