
仏教ではこの世を「無常」と説きます。文字通り「常は無い」という意味です。無常と聞くと、物が朽ちていく寂しい様子を思い浮かべる方も多いでしょう。しかし、それだけではありません。例えば、子供の成長も無常の一つです。昨日できなかったことが今日できるようになる、その変化こそが無常の現れなのです。
私は僧侶になるまで、毎年咲く桜は「同じもの」だと思っていました。しかし、実際はそうではありません。樹もまた無常であり、日々刻々と変化を遂げています。昨年の桜と今年咲く桜は、決して同じではないのです。私たちも同様に、一見変わらないように見えても、一日経てば必ずどこかに変化が生じています。そしてその歩みは、やがていのちの終わりを迎えます。
法然上人は、いつ命の灯が消えるかわからない無常の世だからこそ「一日を無駄に過ごすことは悲しいことです」と示されました。そして「日々お念仏を称えなさい」とお伝えくださっています。毎日お念仏を称えていれば、最期には阿弥陀仏がお迎えくださり、極楽浄土へ往ける。そう約束されているのです。ですから、お念仏を称えることは決して悲しいことではなく、むしろ希望に満ちた修行といえます。
浄土宗のお念仏は、時や場所、心の状態を問わず、いつでもお称えしてよいものです。これから春を迎え、鳥のさえずりも聞こえてくる季節となります。散歩をしながら世の無常を感じ、お念仏とともに歩んでみてはいかがでしょうか。
合掌