
法事でもよくお話をするのですが、極楽を見ることができたらいいのに、地獄を見ることができたらいいのに、と思います。もし見ることができたら、もっと切実に願い、もっと恐れを感じて信仰が増すのだろうと思うからです。
大切なご主人を亡くされたお檀家さんがいらっしゃいます。1周忌を迎え終わった後の月参りで「和尚さん。私ね、主人に守られているって実感するねん」とおっしゃいました。理由をお聞きすると「病院行かないといけない朝、寝坊しかけたの。だけどね、主人が言ってくるのよ。『病院やから起きや』って。それからね、私が急いでたら『足元気を付けなあかんで』と囁かれるのよ。こんなことがいっぱいあるの。だから、主人、いつも私を気にかけてくれているのね」とおっしゃいます。見えないけれど大切な人。その方がいつも見守ってくれている、このことが日々の励みとなっています。そのお檀家さんは笑顔でこうも話されました。「いつか私を迎えに来てね。でも、今すぐじゃなくていいよ。今は楽しく過ごしているからって主人に言ってますねん」そしてご自身もご主人同じように、お念仏を欠かさずお称えしておられます。
極楽を見ることができたらきっと、私たち一同確実に切実に「そこに往きたい」と願うはずです。残念ながら基本的には見ることができません。でも、見えなくても西の彼方に極楽があり、大切な方々が極楽から、時にはすぐそばで見守ってくださるのです。
合掌