
宗念寺にある池は枯れ池です。梅雨の雨が降ることで土が潤い、夏には立派な蓮が咲きます。しかし空梅雨になると土が乾き、蓮は育たず花も咲きません。勝手な願いかもしれませんが、この時期ばかりは雨を待ち望むものです。
浄土宗はお念仏をお称えします。自分が極楽浄土に生まれるためにお念仏を申すのです。「極楽に生まれる」という願いは、いわば“種”のようなものです。種は植えただけでは育ちません。育つためには養分が必要です。その一つが「お念仏」です。南無阿弥陀仏と称えることが、種を育てる大切な力となります。そしてもう一つ欠かせない養分があります。それが「仏さまのお慈悲」です。阿弥陀仏は「念仏申す者を必ず救う」と誓われました。分け隔てのない心でお念仏を申す私たちを必ず極楽へと導いてくださるのです。そのお慈悲は、まるで全てに等しく降り注ぐ雨のように、私たちの心を潤してくださるのです。お念仏と阿弥陀仏のお慈悲。この二つがそろうことで、「極楽に生まれる」という種はぐんぐん育ち、やがて立派な花を咲かせます。しかし、忙しさに追われてお念仏を忘れてしまうと、心という土壌は少しずつ乾いていきます。お慈悲の雨が届きにくくなるからです。
土壌が潤えば種は育ち、渇けば育ちません。 同じように「極楽に生まれる」という願いの種は、お念仏と仏さまのお慈悲の雨が必要なのです。この二つがそろえば、必ず実りへと導かれます。願いは花開くのです。 合掌