供養となる  2016年08月01日

 極楽に生まれられますと、誰でも「天耳智通」(てんにちつう)といって、はるか遠くの人の声を聞くことができる力が備わります。この世で私たちが、色んな話をすると、その声を聞いてくださるのです。

 私の祖母は、優しい人でしたが、その反面頑固な一面もありました。私が小学生の頃、祖母は時々母に代わって、夕食の一品を作ってくれていました。その一品に「ほうれん草のおひたし」があったのですが、私は苦手でした。横で見ている祖母はいつも、「薬やと思って食べなさい」と言うのです。私の体の事を思って言ってくれているのは、解るのですが、<薬はいやや>と思いながら、泣きながら食べていました。
 祖母の命日には、何故かその事を思い出し、いつもその話をしています。きっと祖母は、この話を聞くたびに、「そんなことあったなぁ」と苦笑いをしているかもしれません。
 供養の原語は、尊敬をもって丁寧にもてなすことです。仏教では、飲食や衣服などを捧げることを言います。ですが、形だけではなく、心が込められているかどうかだと思います。大切な方を思ってお念仏を称え、お供えや思い出話をすることで、供養となるのです。

 この8月、関西ではお盆の時期となります。帰省される方もいらっしゃるでしょう。どうぞその時には、ご家族で、大切な方やご先祖さま方の思い出話に花を咲かせてください。そして、お念仏をお称えしましょう。必ずその方々は極楽で聞いてくださっているのです。