拝む姿 みな尊し  2016年09月01日

 16年前までの私は、家族の言葉を聞かず、勝手気ままに過ごす日々。しかし、突然の父の事故と入院で、お寺を任された大学生の私は、己の無力さを知り、家族や親戚の支えがあるのを気づかされました。

 お釈迦さまは、「世間の人々は、親子・兄弟・夫婦・諸々の親類縁者であれば、互いに敬って親愛しあわなければならない」と仰っておられます。耳が痛いお言葉です。家族だからこそ、わがままを言い家族を傷つけることもあります。ましてや他人などは言うまでもありません。
 私たちは、大切な家族でさえも、傷つけてしまうような悪業を重ねる人間なのです。そんな悪業を重ねる私たちを、阿弥陀さまはそれでも救ってくださるのです。み仏さまと向き合い、合掌して拝む。そしてお念仏をお称えするのです。阿弥陀さまの極楽に生まれられれば、すぐさま私たちの悪い心は消え失せ、そこで再会した方々を傷つけることは無くなるのです。
 「拝む」とは、敬い合掌して礼をすることを言います。相手を敬う気持ちを表現する姿なのです。私たちから、この悪業を無くせるように、阿弥陀さまに身を委ね、敬い拝む。そしてお念仏を一心に称えるからこそ、誰であれ尊いのだと思うのです。

 敬うためには、難しいことですがまず自分の小ささを知ることが大切です。高慢な態度は失敗を招きます。小さき自分を知れば、謙虚な気持ちになり、素直に受け入れられ敬うようになるのだと思います。

合掌